錯覚を利用して感情を動かす:演技、生物模倣と散逸構造
「演技をする」とは
ガラスの仮面のアニメを見ていたら、
「演技する」とはどういうことかが述べられていた。
綺麗なバラを見て、「綺麗なバラ」と言うのは簡単。
握りつぶされたバラを見て、主人公は「綺麗なバラ」と言えなかった。
花の部分が切り取られたバラの茎を見て、主人公は心から「綺麗なバラ」と言えた。
演技とは感情からくる。
その感情を思い起こして心からアクションをすることが演技だと学んだ。
錯覚
本当はそうではないのに、あたかもそうであるかのように見せる「演技」
これを見て、少し違うけど錯覚と似てると思った。
大学の時に錯覚の授業があった。
「どうしようもなくそう感じてしまうこと(錯覚)」を利用して、社会のデザインに役立ててください、といったような内容。
そこで、スピードを出しがちな下り坂のトンネルで、スピードを出したくなくなるようなデザインを考えた。が、どんなものか忘れた。
スピードを出すことで嫌な気持ちにさせるデザインだったか、スピードを出さないことで心地よくなるデザインだったか。
擬人化:AIと感情
本当はそうではないのに、そう感じさせてしまうこととして、擬人化小説を一時期描いていた。
「釘」という人生で釘は何を思うのか
「バブ(お風呂のアレ)」の一生を綴るとどう表現できるのか
人間の道具という視点で見るとどうしてもただのツールとなり意味を持たなくなる。
なんでだか一時期、モノに感情を持たせるとどう思考するか、にハマっていた。
人工知能が進んだ先、奪われないものとして感情があるんじゃないか。
何かに心が動かされる時、行動する時、もはや「何か」に意味がなくなる時代が来て、『心が動かされる』こと自体やそのトリガーに価値が出てくるんじゃないかとふと思った。
観察して、認識して、感情が想起される、そして行動に起こす。
自分が何に感動しているのか、さえ支配されるようになったら、それは本当に替えのきく物理現象になるのかもしれない。
模倣、バイオミミクリー
模倣をするという意味では、バイオミミクリーという言葉も学んだ。
生物模倣技術などと訳されるが、単語に馴染みがなくても、生活には入り込んでいる。
鳥を模倣した飛行機
カタツムリの殻の構造を参考にした家のタイル
蚊の針を真似て作られた赤ちゃんが痛がらない注射器
これも面白い。生物には数億年の叡智が詰まっている。
先ほどの車のスピードの話でいうと、
早く走り過ぎると疲れる車があってもいいかもしれないし、
道路と車をアリの隊列や魚の群れにたとえて群論を考えてもいいのかもしれない。
魚は泳いでる時に他の魚とぶつからないらしい。それをAppleのデザイナーかリサーチャーがずっと眺めていたんだとか。(違う会社だったかも…?)
散逸構造
集まる群れる、という事に関することでいうと「散逸構造」もある。
あまり理解していないけど、これも実はすごい面白い気がする。
一つ一つを見ると、互いに関係なく動いているように見えるが、
それらが集まると総体としての動きを持ち始めるというらしい。
最近考えていたこととして、
事故は車と車がぶつかった瞬間に発生するんだろうか、というのがあった。
A+A'=>A”というように
車と車がぶつかって初めて事故が起こったようにしか普通は思えないが、
実は事故が起きたその「点」に【事故】というものが内在していて、それが封切られただけなんじゃないか、と思った。
車が存在することで、国道や一般道が存在することで、人が運転することで、事故が起きた「点」には【事故】という散逸構造が組み込まれたんじゃないか。
「事故が内在している」という、事象を単なる原因と結果以外の見方をしたいと思っただけなんだけど、やっぱりなかなか難しい。